さいさな自分を反省
いわれたことにたいして、すぐに直せるのに、少しずつ直したり。
かならず、これは、いいことだって頭でわかってるいるのに実行に移せない。
道に倒れた酔っ払いがいて、大丈夫かな?って思ったのに大丈夫ですか?と声をかけることができない。
これができないのは、なぜなのか?
それこそが、器のおおきさなんだと思う。
それを実行するには、認めるということか、悔しくても何かを許すことと似た感覚。
だから器のとかっていう言い方をするのだろうか。
とりあえず、自分に問題があることにもきずかず、または認めようとせず、周りの環境や仕方ないということで直さない。物事の原因は1つじゃないことがほとんどで複合的で。
何かしら原因が自分にある所も絶対にあって、絶対とはいいきれなくても、もしかしたらあの時のことで心象をわるくしたことがいけなかったのか。
認める許すといったことができない、自分の器の小ささが、嫌いです。